自分が考えてる自分像っていうのはとても曖昧なものです。仮に自分のことが嫌いで嫌いでしょうがなくても、自分に接した他人が『この人は良い人だ』と感じたならばそれが世間に認知される自分像だったりするわけです。結局は自分での評価なんてものは自分に対する慰めでしかなく、本当の評価をするのは他人なのです。だから他人が与えてくれた評価に対して従順に成りきるのも一種の優しさだったりするのかもしれませんね。もしかしたら人間というのはそれぞれが与えられた役柄を演じきるためだけに生まれてきているのかもよ。